となりの子どもを愛すること

昨今の「虐待のニュース」。

 

 あまりにも増えすぎていて、いつしかニュースの中の当たり前になりつつあり、そのときは「気の毒に」「ひどい」などと思っているうちに、そのニュースもあっという間に消し去られ、忘れられています。

 そしてすぐに次の新しい「虐待」を報じられ、段々と関心が薄らいではきていないでしょうか?


ニュースを知る私たちの心は、それを聞いてどう動くのでしょう?

ニュースは報道されるだけで、虐待が解決しているわけではありません。ニュースから消えても続いている現実があります。


 先日、家庭教育支援協会の研修会で「虐待」がテーマで取り上げられ、

リアルな現場で活動されている方の話を聞く機会がありました。リアルな声は生々しく、

ニュースで取り上げられる「虐待」は、氷山の一角であることがわかります。

 そして、さらに行政や福祉やボランティア団体が、知りえないところでも、

まだ問題があるということは想像がつきます。改善、解決の糸口が見えない実情。

 親は、自分の子どもを愛せなくなっているのでしょうか?

 「愛する」という根本的なことが、理解できないのでしょうか?


 でも親だけの問題でもないように思います。

孤立している親子が多くなっている状況の中で、子どものいる環境全体の問題。
たどっていくと、負の連鎖が見えてきます。

 私が住んでいる東京では、マンションやアパートが増え、隣近所に誰が住んでいるのかわかりません。
建物が違えばそれはもっとわかりにくくなります。
子どもの声もめったに聞こえません。

 

 我が家も両隣はアパート、マンション。

子どもの声はほとんど聞きません。

でも、たまにとなりのアパートから赤ちゃんを抱いた方が出てくると、
「あれ?赤ちゃんいたんだ?」と驚くこともあります。


目が合えば、あいさつでもしようかと様子をうかがっていると、

目を合わさぬよう急いで私の前を横切って通り過ぎてしまう。
私は怪しい人?ですか?

 

・・・・・難しい。


私の中でもいろいろ葛藤します。


「手助けできることないかしら?」

「余計なことをしないほうがいい??」

「何かあったら気楽に聞いてと伝える?」
そう思いながらも、実際は難しいものです。


 うちは治療院でもあり、子どものための治療やケアのメニューもあります。
もちろん「チャイルドケア」として心身のケアや子育て&家庭教育相談もしています。
でも実際に迷い、悩んでチャイルドケアを頼る方はまだ少ないのです。
チャイルドケアを知って、チャイルドケアで調えたいと思っている人は
すでに意識も高いので、
問題があったとしても、改善できることが多いのです。

 こちらが意図している「親」には、なかなか届かないのです。
おそらく、子どもに何をしたらいいのか、自分のやり方に問題があるのかどうかさえ

わからないし、自分が迷い思い悩んだとしても、誰に何をどのように言えばいいのかも
わからないのだと思います。

 そんな孤独な親子を何とかしたい!

 チャイルドケアは、そういうきっかけ作りのために作ったものでもあるのです。
「声掛け」だけでも、孤立した親子をサポートできると思います。 

チャイルドケアの子育てとは、自分の子育てのことだけではありません。
子育てしている人もしていない人も「子育て」の意識をもつこと。

 

「我らの子育て」


自分の子どもを愛せるなら、

それと同じようにとなりの子どもにも温かい愛情を注いでほしい。
未来を担う子どもに我が子のように心を向けてほしい。


自分の子どもしか見えない、他の子どもには関心がない。
これでは自分の子どもを守ることもできなくなります。


「となりの子どもを愛すること」

これができればきっと変わると思っています。
イエスキリストの「汝の隣人を愛せよ」と同じです。
簡単に言えば、他者への気遣い、愛です。

子どもがいるとかいないとかではなくて
子どもに関心を向ける社会を取り戻すことが必要です。

チャイルドケアでは、

そんな「となりの子どもを愛すること」をいろいろ考えていきたいと思います。

最近は見知らぬ子どもをあやすだけでも、嫌な顔されたりします。
見知らぬ子どもと目が合って、手を振るだけで
親はとたんに子どもの手を抑えて、手を振らないように諭したりして。

いやいや難しい。

でもこの「難しい」を超えていかねば。

子どもがいたら、笑顔だけでもいい。

とびきりの笑顔をその子に。
笑顔で答えてくれる子は大丈夫。
シャイな子もOK。
ママの後ろに隠れちゃう子もOK。

無表情、無反応・・・・・・・・これが問題かな?と。
日常の中で、いろいろ模索してます。

笑顔振りまいていきます!!